古文が苦痛だ

こんな感想を良く聞きます。大人でも、古文の授業に良い思い出がない人が大半ではないでしょうか?

古文を嫌いにさせる方法は実に簡単です。

古文には面白い話がいくつもあります。竹取物語や宇治拾遺物語など魅力的な話が教科書にも出てくるでしょう。

さあ、ではこの物語を読んで楽しもう!
・・・と思ったら、教師がおもむろに文中に線を引き出します。そして、このようなことを言い出すのです「はい、これはラ行変格活用の連用形だ」「ここは受身の意味を表す助動詞『る』の已然系だ」

すっかり貴方は古文が嫌いになるでしょう。

そして、生存率が20%以下となった悲惨な古文の授業風景が目の前に広がるでしょう。

これでは、わざと古文を嫌いにさせているようなものです。最初に必要なのは、古文に慣れ親しみ、楽しむことだったのです。品詞分解ではなかったのです。

そして、生徒は古文自体に苦しむのではないのです。文法用語に苦しんでいるのです。古文が理解できないのではなく、文法用語が理解できておらず、圧倒されているのです。

これは英語でも同じことが言えます。

英語に慣れ親しむ前にいきなり文法から入っていきます。「定冠詞」「不定冠詞」「補語」「助動詞」など訳のわからない文法用語が出てきます。

生徒は英語に苦しんでいるのではなく、日本語である文法用語に苦しんでいるのです。

おかしな話です。

赤ちゃんが言葉を話せるようになっていくために、文法をまずは理解しないといけなかったのでしょうか?子どもが作文を書くためには品詞分解ができないといけなかったのでしょうか?

違いますよね

このような勉強の結果、たとえ点数を取れたとしても、古文が嫌いになった生徒、英語を使うことのできない生徒が出来上がります。

これは勉強の目的を見失っている典型例だと言えるでしょう。理解して使えるようになるための勉強ではなく、意味のないテストのための勉強になっているのです。

しかし、生徒にとってはいかに理不尽であろうと現実は現実です。それでも勉強を進めないといけないこともあるでしょう。

もしも必死になって古文や英語を理解しようと猛勉強してもさっぱりな場合、本当に理解していないのはそこではありません。文法用語がネックになっている可能性が大きいでしょう。それらを一つずつ丁寧に理解することが解決のヒントとなるでしょう。